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Blogブログ・国語の力を伸ばすために
Blogブログ・国語の力を伸ばすために
2021.10.08ブログ・国語の力を伸ばすために
・・・なんのためにやってたの?
気が付けばもう10月・・・
ということは。
夏休みが終わって1ヶ月以上経ったわけですが。
・・・夏休みの宿題、どんなふうに返却されたでしょうか?
「コンクールに出品してもらったよ!結果はまだだけど」
「みんなの前で発表して感想をもらった!」
そっかそっか、良かったね。
これはまだ報われた・・・かもしれないパターン。
「教室の後ろに1ヶ月貼りだされてた!」
うんうん、それで?
「ハンコ押されて返ってきた」
え?それだけ?
「うん・・・」
はぁぁ・・そっかぁ・・・
小学校の夏休みに課される宿題は、昔と比べると減少傾向にありますが、それでもなかなかの分量です。
子ども、特に低学年の子どもが、それを全部自分で把握して、計画的に取り組むことなんて到底出来ません。
そこで、保護者の出番です!・・・というわけですが。
真面目に、一生懸命、こどもと一緒に取り組んだ親御さんほど、この時期の「がっかり感」は大きくなります。
「あんなに時間をかけてきちんと仕上げて提出したのに・・・」
もちろん、『評価』はされているのだと思います。
でも、それが見えない。伝わらない。
頑張りが本人にフィードバックされないのです。
そうするとどういうことが起きるか?
良かった点、悪かった点、今後に向けての改善点が指摘されないわけですから、
いつまでたっても成長しない、出来ない…と言うことになります。
つまり、今後、似たような課題に取り組む際に、その経験を何にも活かせない、ということになるのです。
・・・で、例のぼやきが飛び出すわけですね。
「夏休みに出たあの宿題って・・・なんのためにやってたの?」
四角い枠と線が書かれただけの用紙を数枚渡されて、
「あさがおの観察を〇回やりましょう」
「絵日記を書きましょう」
課題を応募できるコンクール名を羅列して、
「4つ切り画用紙に〇〇という題材で描きましょう」
「読書感想文を書きましょう。600字~800字で」
夏休み前に渡されたプリントには、笑っちゃうくらい、ツッコミの入れどころ満載のシンプル過ぎる指示が並んでいました。
「親子で一緒に過ごす時間を作りましょう」というのが宿題の目的なら、これでいいのかもしれません。
・・・いや、それならそれで、それぞれの家庭の方針に任せられる、もっと自由度の高い課題にすべきだと私は思いますが。
しかし、取り組むことによって、なんらかの学びを得るための課題だというなら、その指示はかなり問題です。
たとえば1年生の宿題の定番『あさがおの観察』。
何の指示もなければ、数枚の観察記録用紙には、全て同じような丸い紫色の花の絵が描かれても不思議ではありません。
絵に添えられた言葉でさえ、クラスの大半が似たり寄ったり・・・になる可能性も。
だって、やっと平仮名を全部習い終わったばかりの1年生だし。
画力だって高くないし。
学校から持ち帰った大きなあさがおの鉢と、ひらがなだけで書いたら、1~2文で終わらせないといけないような行数しかない用紙を前に、真面目な親御さんほど頭を抱えられたことでしょう。
どの部分を、どうやって、どんな画材で描けばよいのか。
用紙が数枚あるのは、時間の経過とともに起こる変化を記録するためなのか、それとも朝顔のいろんな部分の形の違いを描くためなのか、花の付き方、蔓のまきつき方、葉っぱの出方などをつぶさに観察しなさい、という意図なのか。
文章は、観察記録なのか、気付きや疑問を書くべきか、はたまた、ただの感想でも良いのか。
・・・わからないことだらけ。
コンクールの要綱もそうです。
出したいものがあるなら、自分で調べてお好きにどうぞ、といわんばかり。
家庭に丸投げの宿題のオンパレード。
私は常々、夏休みに限らず、毎日の課題でもなんでも、学校がそれを「宿題」として出すならば、その時点までの学び、そしてそれからの学びにちゃんと結び付けられる形で、取り組み方などについて、きちんと指示を出すべきだと考えています。
それは、その「目的」によって、取り組み方が全く違ってくるから。
先ほど挙げた「あさがおの観察」に取り組む時にあれほど悩んだのは、その宿題の「目的」がはっきり示されてなかったからです。
例えば。
「あさがおの花や葉の色の違い、ツルにどんなふうに付いているかに気をつけて、丁寧にスケッチしましょう(色鉛筆使用)」
というのが目的なら、2枚の観察用紙には、花や葉をしっかり見て、その付いている部分がわかるような角度で描くことが必要です。
「一つの花を〇日間空けて観察し、時間の経過とともに蕾がどう膨らみ、花開き、しぼんで枯れて種ができるのか観察しましょう」
なら、定点観察の記録をつければいい、ということになります。
「親子で一緒に水遣りをして朝顔を育てましょう」
なら、観察日記には、親子で朝顔を前に仲良く並んでいる絵を描いて、その時の会話などが書いてあれば最高の出来、ということになりますよね。
こんな風に、目的が変われば、取り組み方も変わるし、それによって得られる力、伸ばせる力も変わってくるのです。
土の詰まった重い鉢を学校が指定する日に取りに行き、枯らしてはなるまい、と親が一生懸命水遣りしてお世話して、とりあえず何枚か撮っておいた「映える」写真を基に、夏休みが終わるころ、めんどくさがる子供をなだめすかしてなんとか絵を描かせ、文字を書かせて提出・・・
ただただもったいない、の一言です。
植物は生育過程に合わせた適切な作業をしなければ枯れてしまうわけですから、まず、きちんと枯らさないように育てさせることで、「責任感」が身に付きます。
朝夕2回の水遣りを淡々と、けれども欠かさず続けなければならないので、「忍耐力」も必要です。
種から発芽して成長し、花が咲き、種ができ・・・と、様々な形態が見られるので、それぞれの過程をしっかり見て、違いがわかるようにスケッチすることで、「観察力」や「推察力」、それに「画力」も伸ばせます。
朝顔の花を摘んで押し花にしてみたり、色水を作ってみたり・・・遊んで楽しい思い出作りをすることだってできます。
朝顔1つで様々な経験と学習効果が得られるのに。
指示が無くても、上記のような力を伸ばすことを意識して、積極的に子どもとこの課題に取り組んだ家庭とそうではなかった家庭・・・
「あさがおの観察」は、たった一回、の話ですが、同じような宿題は多々出されます。
その経験の積み重ねでできた差はとても大きいものになるはずです。
そして、そういう課題に、きちんと目的意識を持って取り組む習慣がついた子どもと、なんとなく出された課題を要領よく「こなす」習慣しかつかなかった子どもとはどんな違いが出てくるのか・・・
目的を持って取り組めた方も、そうでない方もおられることとは思いますが、今年の夏休みの宿題はもうやりなおせません。
ですが、どんな宿題でも返却されたらまずはお子様を「よくがんばって仕上げて提出できたよね!」と褒めてあげましょう。
そうか、宿題をきちんと出せば、褒めてもらえるんだ!わたし、ちゃんとがんばれたんだ!という「自己肯定感」を高めることは出来るはずですから。
次回は、子どもたちに「目的」を意識させることによって、何がどう変わってくるのか、についてお話したいと思います。